美食には魅力的な物語がつきもの。フランスの食文化には、意外な由来や一風変わった大会、そして個性豊かな人物のエピソードがあふれています。今回は、フランスの食にまつわる、ウソのようなホントの話をご紹介します。エイプリルフールのジョークではありませんので、ご安心を。

Weird food facts

フランスでは何世紀もの間、塩で税金を納めていた(塩の密売や闇取引も盛んだった) 🧂

話は中世にさかのぼりますが、フランスの王家は塩の販売権を独占していました。塩の産地は生産した塩をすべて王に納めるよう義務づけられ、王は税金を上乗せした高値でその塩を国民に売り戻していたのです。しかも厄介なことに、フランスでは地域によって塩の税率に格差がありました。パリでは塩が非常に高価になる一方、ゲランドの塩の産地として名高いブルターニュでは、ほぼ無税でした。

 

こうした不公平な重税の裏で、巧妙な密売や闇取引も盛んでした。ドレスのお尻の部分に塩を隠して運んだ女性たちの記録も残っています。食料と塩の価格をめぐる民衆の怒りは社会情勢を動かす大きな力となり、フランス革命の遠因になりました。ちなみに、「salary(給与)」という英語は、フランス語の「salaire」に由来し、もともとは「塩の配給」を意味しています。

 

フランス政府はバゲットの厳密な規定を設けている🥖

誰もが知っているバゲット。その定義を決めているのは、フランス政府です。

フランスパンの代表格であるバゲットの品質や特徴は、国の法律で細かく規定されており、適切な長さや幅、重さ、そして材料の配合まで定められています。業界のラベル・ルージュ規格はさらに厳密で、フランスの「伝統的」バゲットの長さや重さ、寸法が具体的に指定されています。

ちなみに「バゲット・ド・トラディション」としてフランスで販売されるものは、長さ50〜60 cm、幅6 cm、重さ約250 gにしなければなりません。使用できるのは水、小麦粉、塩、イーストという4つの材料だけです。

 

2人の修道士が秘伝のレシピを守る、有名なフランス産リキュールがある🥃

フランスのアルプス地方でカルトジオ会の修道士たちが数百年前から造っている有名な蒸留酒「シャルトリューズ・ヴェール」のレシピは門外不出の秘伝です。この香り高いハーブリキュールは、今でも山間の町エグノワールで、修道会の管理のもとで蒸留されており、そのレシピを知るのは2人の修道士だけ。代々口伝えで受け継がれてきました。

各修道士は、レシピにおける担当工程をひとりで静かに進め、アルプスのハーブや多様なスパイスをブレンドした複雑な配合を守っています。シャルトリューズ・ヴェールは世界中で人気がありますが、修道士たちが作業を急ぐことはないため、品薄になることも珍しくありません。

伝説的なフランスのデザートは失敗から生まれた 🥧

フランスのビストロや家庭で愛されている「タルト・タタン」。焼いてからひっくり返す有名なアップルパイは、ちょっとした手違いがなければ誕生しなかったと言われています。

1880年代後半、ステファニー・タタンとカロリーヌ・タタンという姉妹がロワール渓谷の街道沿いで宿屋を営んでいました。ステファニーの話によると、ある忙しい朝、リンゴとバターを入れた鍋を火にかけたままその場を離れてしまい、気づいたときには焦げそうになっていたそうです。あめ色になったリンゴをなんとか救おうとした彼女は、パイ生地をかぶせてオーブンに入れます。

こうしてできたデザートは宿の客を魅了し、「タルト・タタン」が誕生しました。失敗から生まれた調理法はいまや伝統的な技法となり、季節に応じたバリエーションは1000種類にものぼります。塩味のタルト・タタンも人気があり、エシャロットやポロネギ、アンディーブを使ったバージョンがあります。

料理研究家や食文化研究者の多くは、ステファニー・タタンの「焦げたリンゴ」事件のずっと前から、フランスには焼いてからひっくり返すパイが存在していたと考えています。それでも、タルト・タタンの誕生秘話は、素朴な料理人や街道沿いの小さな食堂がフランスの偉大な美食史にさまざまな形で貢献してきたことを象徴するエピソードとして語り継がれています。
 

さまざまな食の世界選手権がある(しかも本気で競っている)🏅

フランスの農産物や名物料理の多くは、美食の団体やギルドによって支えられています。こうした組織は食の伝統を広め、伝えるために毎年フェスティバルを開催することが多く、その分野で最高の生産者を表彰するコンテストを開きます。このコンテストは盛大なパーティーを催すための単なる口実ではありません。名誉、賞金、スポンサー契約をかけた真剣勝負がフランス各地で繰り広げられ、「世界チャンピオン」が選ばれます。

バスティアでは、ジャムの世界選手権が開かれます。リヨンではパテ・アン・クルート世界選手権が開催され、日本からのチームも参加します。そして、忘れてはならないのが、フライドポテト世界選手権。ノルマンディー地方の小都市アラスに、熱狂的な観客が大勢集まります。

 

フランス人はジャガイモが嫌いだった・・・ある男の普及活動によって意識が変わるまでは 🥔

1780年頃まで、フライドポテト世界選手権など想像もできませんでした。そもそもフランス人は、ジャガイモを食べることなど考えもしなかったのです。ヨーロッパ各地に普及していたにもかかわらず、フランスではジャガイモがハンセン病を引き起こすという噂が広まり、家畜の餌にしかならないと考えられていました。しかし、薬剤師であり農学者でもあったアントワーヌ=オーギュスタン・パルマンティエの生涯をかけた努力によって、フランス人は徐々にその認識を改めました。

パルマンティエは、革命前のフランスで繰り返し起きていた飢饉や慢性的な飢餓を解決する重要な食材として、ジャガイモを推奨しました。彼は世間の意識を変えるため、さまざまな行動で注目を集めました。武装した兵士にジャガイモ畑をパトロールさせ、ジャガイモの花束をルイ16世とマリー・アントワネットに贈り、さらにはアメリカ大使ベンジャミン・フランクリンをはじめとするパリの著名人を招いて、ジャガイモ料理づくしの豪華な晩餐会を開きました。

ジャガイモの普及に尽力したパルマンティエの名は、「アッシュ・パルマンティエ」(シェパーズパイの一種)や、「サラダ・パルマンティエ」(伝統的なフランス風ポテトサラダ)といったさまざまなフランス料理の名称に残っています。パリの有名なペール・ラシェーズ墓地にある彼の墓の周りには、ご想像のとおり、ジャガイモがよく植えられています。

このようなエピソードから分かるのは、今日私たちが知るフランス料理が高級レストランだけのものではないということ。フランスの食を何世代にもわたって支えてきたのは、情熱にあふれた個性豊かな人々です。次のアペロで、こうしたエピソードを友人に披露してみてください。ただし、本当の話だと信じてもらえるかどうかまでは保証できません。

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