タルト・タタン
1880年代のある忙しい朝、カロリーヌ・タタンは、姉のステファニーと営む街道沿いの宿屋兼レストランの厨房で慌ただしく働いていました。ところが、彼女はよくある失敗をしてしまいます。リンゴ、バター、砂糖を煮詰めていた鍋を火にかけたまま、うっかりその場を離れてしまったのです。焦げた砂糖の香りで異変に気づき、慌てて鍋のもとに戻った彼女は、なんとか挽回しようと、上からパイ生地をかぶせて、そのままオーブンへ入れました。
彼女のとっさの機転が功を奏しました。焼き上がったパイをひっくり返して宿泊客に出したところ、その美味しさに誰もが魅了されたのです。こうして、有名なタルト・タタンが誕生しました。
失敗から生まれたレシピが今ではフランスの伝統的な技法となり、旬のフルーツを使った多彩なバリエーションも登場。エシャロットやポロネギ、アンディーブを使った塩味のタルト・タタンも人気があります。
シャンパーニュ
シャンパーニュグラスの中を立ち上る繊細な泡は、かつては必ずしも好ましいものではありませんでした。むしろ、職場の危険要因であり、悪魔の仕業であり、許されざる失敗だと考えられていたのです。
その失敗から、フランスの代表的な輸出品であるシャンパーニュが生まれるまでには、長い年月が必要でした。
17世紀当時、泡の入ったワインは欠陥品だと見なされていました。選果が不十分なブドウを使ったワインは、瓶詰めした後に二次発酵し、高圧下で炭酸ガスを発生させていたのです。揮発性が高く、美味しくないワインができるのはまだ良いほう。最悪の場合は、炭酸ガスによって瓶内の圧が高まり、ボトルが爆発してワインセラーの在庫にダメージを与え、醸造家たちの健康や安全を脅かすことさえありました。
その後、科学やガラス製造技術、ワイン醸造技術が進歩し、ベネディクト会の修道士ドン・ペリニヨンや化学者クリストファー・メレットといった造り手が、この「許されざる失敗」から新しいスタイルのワインを生み出しました。瓶内発酵という偶然の産物はメトード・トラディショネル・シャンプノワーズと呼ばれる伝統的製法へと進化を遂げています。瓶内発酵をコントロールすることで独特の骨格や繊細さ、発泡性が生まれ、いまやシャンパーニュはフランスを代表する美味な輸出品の一つになりました。
クイニーアマン
発音の難しさを忘れるほど美味しいクイニーアマンはブルターニュ地方の名物で、1880年代に港町ドゥアルヌネで誕生しました。言い伝えによれば、あるパン職人が小麦粉を切らしてしまい、ショーケースに並べる菓子も少なくなったとき、残っていたパン生地に地元ブルターニュ産のバターをたっぷり折り込み、砂糖をまぶして焼き上げた急ごしらえのケーキが始まりだとか。お客さんから好評で、良質な地元ブルターニュ産バターも手元にたっぷりあったため、このバターケーキは店の定番商品になりました。いまや、クイニーアマンは世界中で有名になり、特に日本や北米のベーカリーで人気を博しています。
クイニーアマンはブルターニュ地方の方言であるブルトン語で文字通り「バターケーキ」という意味。現在のレシピも偶然の産物からさほど変わっていません。本場では丸いケーキ型で焼き、ピザのように切り分けて提供されます。一般的な配合は、パン生地40%に対してバター30%、砂糖30%。贅沢過ぎるかもしれませんが、美味しさは保証します。
ベアルネーズソース
フランス料理の定番ソースの中でも特に用途が広いのが、ベアルネーズソース。バター、卵黄、白ワイン、エシャロット、タラゴンを使ったクミーミーなソースです。(フライドポテトをディップするのが、筆者おすすめの食べ方)
タルト・タタンと同じく、このソースの誕生秘話にも「うっかり者のシェフ」が登場します。1837年、パリにある「パヴィヨン アンリ IV」の料理長ジャン=フランソワ・コリネは、エシャロットを加えた白ワインを火にかけたまま放置してしまいました。材料を無駄にしないために、煮詰まった液体と卵黄を泡立てて乳化させ、香り高いタラゴンを散らしてみると、濃厚な黄金色のソースに。これをメインの肉料理に添えると、客たちからソースの名前を尋ねられました。コリネは、店名の由来となった16世紀のフランス国王、アンリ4世の出身地であるベアルンにちなんで、このソースを「ベアルネーズ」と名付けたのです。
コリネの友人であり、常連客でもあった作家のアレクサンドル・デュマは、1867年の小説でベアルネーズソースの誕生秘話を取り上げています。ベアルネーズソースは19世紀当時も今も根強い人気を誇り、スカートステーキやアスパラガス、ハッセルバックポテトなど、さまざまな肉料理や野菜料理に添えられています。
トゥルトー・フロマジェ
真っ黒に焼けた外観が印象的なトゥルトー・フロマジェは、今回ご紹介する中でも特に「偶然の産物」らしく見える一品かもしれません。しかし、この郷土菓子の焦げた表面の奥には、甘い物語が隠れています。
トゥルトー・フロマジェは、16世紀頃からポワトゥー地方の家庭で作られてきた伝統菓子です。山羊の飼育が盛んで山羊乳が豊富に手に入る同地域では、山羊乳で作った素朴なチーズケーキをかまどの熾火にかけた土鍋で焼くのが一般的でした。言い伝えによれば、ある山羊飼いが生地を高熱の炭火の上に長く置き過ぎたことで、ケーキが楕円状に大きくふくらみ、鍋に接する側面が真っ黒に焦げてしまったそうです。料理人は、そのケーキをそのまま出しました。黒い部分をはがしてみると、焦げた表皮によって守られた中の生地はふわふわできめが細く、食卓を囲む人々を驚かせました。
このレシピは数世紀前からほとんど変わっていません。愛好家たちは「外が真っ黒に焦げていなければ、本物のトゥルトー・フロマジェではない」と主張します。そう、たまたま焦げてしまったからこそ、この菓子が生まれたのです。ちなみに、焦げた皮も必ず食べます。
© Ji Elle
クレープ・シュゼット
偶然から生まれた料理の誕生秘話には、うっかり者の料理人がつきもの。今回のエピソードは「ぼんやりした給仕」と自ら称した人物の自伝から紹介します。
クレープ・シュゼットの起源には諸説ありますが、最もドラマチックなのは、アンリ・シャルパンティエという給仕のエピソードでしょう。彼は1937年に出版した回想録の中で、高級レストランで働いていた頃の華やかな生活を振り返っています。シャルパンティエがモンテカルロの豪華なホテルで、後のイギリス国王エドワード7世のためにデザートのクレープをワゴンサービスで調理していた際、料理に使われていたコニャックに突然火がついてしまいました。最初はデザートが台無しになったと思った彼でしたが、味見してみると、フランベされたアルコールによって、風味はむしろ豊かになっていました。そこでクレープをそのままサーブし、皇太子とその一行は斬新な創作デザートが気に入ったそうです。
皇太子の強い希望により、このデザートは同席していた若い女性の名を取って「シュゼット」と命名されました。シャルパンティエは回想録の中で堂々とこう記しています。「こうして、この菓子は生まれ、命名された。これをひと口でも食べれば、野蛮人でさえ紳士に変わると私は心から信じている」
このような誕生秘話の中には、詳しい記録が残っているものもあれば、代々語り継がれてきた言い伝えもあります。事実であれ伝承であれ、偶然の産物にまつわる物語が教えてくれるように、素晴らしいものが完璧さから生まれるとは限りません。失敗やアドリブ、そして思いがけない偶然もまた、フランスの食文化を形づくってきたのです。
Contributor
Cook & writer