周りは見渡すかぎりの畑、地平線を臨む海――ここはロスコフ、ピンク色の玉ねぎの故郷です。この玉ねぎは、1647年にカプチン会の修道士が、ポルトガルから持ち帰った種を修道院の庭に植えたのが始まりとされます。そして、ロスコフ港の周辺でたちまち人気となり、船乗りたちが航海の前に買い求めていきました。この玉ねぎは保存が効き、ビタミンCが豊富で、船旅の間に壊血病を予防する効果があったのです。しかし、ロスコフの玉ねぎが有名となったのは19世紀に入ってからでした。1828年にアンリ・オリヴィエという若い農夫が、海を渡ってこの玉ねぎをイギリスに売り込んだのです。彼は「空のかごと、ポケット一杯のお金を持って帰ってきた」と語り継がれています。それがきっかけとなり、多くの農夫がイギリスに玉ねぎを売りにいくようになりました。こうして毎年夏になるとイギリスに渡り、玉ねぎを売り歩く農夫たちを、イギリス人は「ジョニー(ジャン君)」と呼ぶようになりました。現在も、約15人の「ジョニー」が健在です。

© ©Louis-Laurent Grandadam
風通る、豊穣の地
ピンク色に色づいたロスコフ産玉ねぎは、フィニステール県の北部でしか育ちません。AOPの認定要件を満たすのは、この地方のわずか24自治体だけです。これらの場所は、いずれも穏やかな海洋性気候と深く肥沃な土壌を兼ね揃えています。ロスコフ産玉ねぎは、3月に作付けし、夏の終わりに収穫します。その間、玉ねぎが十分に育つスペースを確保するため、畑の雑草を取り除きます。今回訪問した農園のヴァンサン・ギレムさんによると、「この玉ねぎには、空気、風、光が必要なのです。そのため、木が少ない方が良い」といいます。昼夜の気温差、海霧の発生、ブルターニュ地方に特徴的な霧雨は、玉ねぎの生育にとても適しています。そして8月になると、玉ねぎが完全に熟する前に、金属製の刃物を使って根を切り、土壌から抜き取ります。風味を保ち、常温保存できるよう、収穫後の玉ねぎは10日間、天日干しをします。ただし、これは天気が良ければの話で、雨が降ると、玉ねぎの繊細な皮に赤や灰色の染みがついてしまいます。

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すべてが手作業
収穫後、茎の長さが5センチ以上あるものは、保管施設に運んで選別します。球のサイズの大きなものはバラ売り用で、直径5~7センチの小さめのものは、茎を編み込んで束ねます。すべてが手作業です。まずは玉ねぎをきれいに整えます。農園を訪ねた日は、5人の女性と2人の男性が、大きな金属製テーブルの上で、この作業を行っていました。小さな包丁を手にした彼らは、玉ねぎを拾い上げては残った根を切り落とし、外皮を手際良くむいていきます。ものの1時間で、1人当たり43キロもの玉ねぎを洗浄し、根を切り落とし、整えていきます。その後、ロスコフ産玉ねぎの目印でもある、編み込み作業を行います。この作業は、熟練の職人3名のみが行います。玉ねぎが常温保存できるよう加工する、極めて重要な工程です。この工程では作業がさらにスピードアップし、1時間当たり40~60本の編み束が作られていきます。手際が良すぎて、木箱から大きめの玉ねぎを取ろうと、箱に手を入れる様子がかろうじて見えるくらいの速さです。中~小サイズの玉ねぎを交互に、ラフィアの縄に編み混んでいきます。「編み込みのスピードを競う世界選手権で、私は何度も優勝しています。昨年は弟が優勝しましたが!」(ギレムさん)最終的に、1本の束は1キロの重さになります。発芽抑制処理は一切行っていませんが、玉ねぎは1年近く保存が効きます。その間も、果実のような風味とジューシーな食感を保ち続けることができます。「玉ねぎが嫌いな人も、たいていの場合、これは美味しいと言ってくれるんです」とギレムさんは語りました。

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