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「王のワイン」 ジュランソン

安田まり 安田まり , ワインライター 2021.10.25
安田まりさん記事

フランス人に人気の高い国王の一人が、アンリⅣ世です。ブルボン朝の祖であり、宗教戦争を終わらせた人物です。この王様のおかげで、フランス南西部のジュランソンのワインは、「王のワイン」と呼ばれています。

宗教戦争を終結させたアンリⅣ世、でもその人となりは・・・

アンリ・ド・ブルボンは、1553年、フランス南西部のポー市にあるポー城で生まれました。父は、アントワーヌ・ド・ブルボン、母はナバーラ王国の女王ジャンヌ・ダルブレです。父の家系であるブルボン家は、13世紀のカペー朝の国王ルイ9世の子供であるロベールにさかのぼります。アンリが生まれた時代は、フランスではちょうど、プロテスタントが力を増してきた時でした。1562年、ついにカトリックとプロテスタントの間の宗教戦争が始まります。ブルボン家は、プロテスタントの中心でした。アンリは、18歳でフランス国王の妹マルグリットと結婚しますが、その婚礼の機会が、プロテスタント貴族が惨殺される聖バルテルミの虐殺の舞台となってしまいます。これを機に宗教戦争が激化。マルグリットの兄、フランス国王アンリⅢ世が刺殺されたことを受け、1589年アンリが、アンリⅣ世として即位します。アンリⅣ世は、1593年にプロテスタントからカトリックに改宗し、カトリックの旧教同盟が握っていたパリの開放に成功します。1598年にはナントの王令を発し、プロテスタントに、制限付きではあるものの信仰の自由を認め、宗教戦争を終結させました。

このような政治家・策謀家としての手腕が高く評価されている国王ですが、その人となりは・・・戦いも好きだけれど、愛人も多かったそうで、30人ほどの愛人がいたとの説もあります。そのため、「女たらし」などというあだ名もつきました。人気の王様ですから、アンリⅣ世が好んだワインと称される産地も多くあります。しかし実際には、食事を楽しむようなタイプの人ではなかったようで、食事が終わるとそそくさと食卓を離れ、ゲームに興じたり、愛人のもとに行ってしまうような人で、味をどの程度わかっていたかには疑問があるようです。ただ、戦争で各地をまわっていたので、その先々でその土地のワインを飲んでいたのでしょう。それが、様々な産地をアンリⅣ世が好んだという話につながっているようです。

王のワイン ジュランソン

このアンリ・ド・ブルボンが生まれた際、精神と肉体を強くするという理由で、ジュランソンのワインを数滴飲ませたという言い伝えがあります。これにより、ジュランソンは「王のワイン」と呼ばれるようになりました。ジュランソンは、アンリが生まれたポーの南側に広がる産地で、スペインとフランスの国境であるピレネー山脈のふもとに位置しています。ポーはかつて、ナバーラ王国の中心都市でもあり、ポーの存在のおかげで、ジュランソンのワイン造りが発展し、その名声が形成されたのです。アンリの母方の祖父、ナバーラ王アンリ・ダルブレは、ジュランソンにぶどう畑を購入していたほどです。

ジュランソンのワインは、プティ・マンサンとグロ・マンサンという白ブドウから造られる甘口が中心です。フェーン現象で、ピレネー山脈から暑く、乾燥した南風が吹き降りてくるので、秋にぶどうを摘まないで樹に残しておくと、この風のおかげで、ぶどうの水分が飛び、糖分が凝縮するのです。このため甘口のワインができます。特に、「ヴァンダンジュ・タルディヴ(遅摘み)」と表記されたものは、砂糖漬けの果実やドライフルーツ、クルミやはちみつなどの複雑な香りが楽しめるワインです。

ピレネー山脈のふもとの一帯には、ジュランソンの他にも注目すべきワインがあります。例えば、ポーの北東に位置する産地マディランは、タナというぶどう品種から、黒い果実のニュアンスが感じられる、しっかりとした赤ワインを生み出します。パッシュラン・デュ・ヴィック・ビルは、マディランと同じエリアから造られる白で、日当たりのよい斜面から、ジュランソンのような甘口や辛口のワインが造られます。ジュランソンをはさんでマディランとは逆側の、ピレネー山脈側に近づくと、イルレギが広がります。このエリアはバスク地方で、ワインもバスクの雰囲気を感じさせる、力強い赤ワインです。

これからの季節、部屋を暖かくして、しっかりとした味わいのソースを使ったお肉料理とマディランの赤、デザートにはジュランソンの甘口など、おうち時間の楽しみが広がるのではないでしょうか。

豆腐
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AOP ヴァレ・デ・ボー・ド・プロヴァンス オリーブオイル
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