気取らないフランスのカフェ文化を伝える
1995年3月、東京・原宿にオープンしたカフェ「オーバカナル」は、当時の日本人に強烈なインパクトを与えました。まるで外国映画のようなクラシカルな雰囲気で、フランスの日常そのものを彷彿させるカフェ文化がそこにはありました。黒いベストに白いタブリエのギャルソンが注文を取りにきて、テーブルで会計することも、まだ日本にはなかった新しいシステムでした。流行の最先端を行くクリエイターやファッション関係者など感度の高い人々がそこに集まり、当時は珍しかったテラス席に座って、カフェオレを片手におしゃれ談義を繰り広げていたのです。この店へ行くときはちょっぴり気取って背伸びして、パリジャン、パリジェンヌのような気分で楽しみたい、憧れの存在でもありました。
原宿にあった1号店は、ビルの老朽化によって惜しくも閉店してしまいましたが、そのスピリットは現在も、都内をはじめ全国に計9店舗あるオーバカナルに受け継がれています。東京メトロの赤坂見附駅から徒歩5分の場所に佇む紀尾井町店は、東京では一番古い2004年のオープン。味わい深い床のタイル模様や、風情あるデザインのポスター、ラタンの椅子が並ぶテラス席など、インテリアはもちろん、ギャルソンの気さくで温かなサービスからもフランスらしさを味わえます。
グランシェフを務める大輪海道さんは、若い頃からフランスに憧れていたそうで、都内のフランスレストランやフランスで修業、渡仏中は地方にも滞在し、現地の郷土料理を学びました。オーバカナルでは10年以上に渡って料理の腕をふるっています。
「僕がこの業界に入る前からフランス料理はありましたが、高級レストランのイメージでした。オーバカナルは、日常的にカジュアルに楽しめるものとして、フランスの大衆的な料理文化を伝えた先駆者だと思います。フランス料理の特徴は、地方料理の集合体みたいなもの。フランスといってもパリだけではなく、各地方の食文化を知っていただきたいですし、フランス好きな方々が喜ぶ少し珍しいマニアックな料理や誰もが親しみやすい大衆的な料理、どちらもバランスよく提供していきたいと思っています」
オーバカナルにはカフェ、ブラッスリー、ブランジュリーがあり、シーンに応じて楽しめます。カフェの定番料理と言えば、まずはここの名物でもあるオムレツ。ふっくらとボリューミーで、バターの風味が豊かな贅沢な味わいです。シンプルでありながら料理人の腕が試される一品で、たっぷり添えられたサラダも特徴的。寒い時期にはオニオングラタンスープも人気です。しっかり炒められた飴色の甘い玉ねぎの入ったスープに、たっぷりチーズをのせてこんがり焼き上げた熱々の一皿。ハフハフしながらほおばると、中にはスープをたっぷり吸ったバゲットが入っており、食事としても食べ応えがあります。
デザートには、タルトが種類豊富に揃っています。トレーにずらりと並べられたケーキ見本をギャルソンがテーブルに運んでくれるので、現物を見ながら好きなものを選ぶのは楽しい時間。写真のタルトシトロンはメレンゲのフワフワした軽やかさと優しい甘み、レモンのキリッと甘酸っぱい果実感がちょっぴり大人っぽい味わいです。満足感のあるやや大きめなサイズはフランススタイルならでは。
月替りで食材を変え、毎月新しい料理も提供しています。メニューの内容は各店舗のシェフに一任されていることで、各店の個性が楽しめるそう。紀尾井町店は、昔から来ている常連のお客様が好むクラシックな料理を心がけているそうです。
フランス人は故郷を大切に思う人が多く、その地方の文化に誇りを持っている、と大輪さん。
「僕も郷土料理が大好きで、ここで働いているとフランスの各地方の文化が学べるのは面白いです。オープン当時は斬新と思われていた、例えばブラッスリーで出している鴨のコンフィやシュークルートなども郷土料理ですが、今ではすっかり定番。創業からのレシピを真摯に受け継ぎ、長く愛されているメニューです。今後もそんな郷土料理をもっと深掘りしていきたいと思っています」
調理機器の進歩などで細かな部分でのレシピの更新をしながら、ベースは変わらず、オーバカナルらしさを大切に、より完成度を高めて、いつものメニューを日常的においしく食べてもらうことを目指しているそう。
「歴史と伝統のある店なので、長い時間をかけて先輩たちが積み上げてきたものへ敬意を評し、その名に恥じぬよう日々研鑽を続け、日本にフランスの魅力的な大衆食文化を伝えていきたい」と語る大輪さん。どこか懐かしくてホッと寛げる、フランスの心地よい空気に触れたいとき、ふらりと訪ねたいお店です。